鳥取県倉吉市で生まれ育つ。高校を出て上京し大学に進学。大学時代はワーキングホリデーでビジネスマンの通訳兼付き人としてカナダにて2年間活動。地元に戻り、祖父が創業した家業に就職。フランチャイズで新規事業の書店の立ち上げや青果部門、ショッピングセンターの販促担当、店長などを歴任し経営に関わるが、リーマンショックが起きた年に会社は経営破綻をしてしまう。
自転車で故郷を飛び出し、身体を張って再始動
東京に向けて自転車で出発、もう一度身体を使って働きながら世の中を見たいと、派遣でビラ配りなどの仕事をしたり、精密機器の輸入商社に転職して営業マンとして全国を周りながら、未経験だったBtoBの世界でも経験を積む。
アンテナショップで再起
東京での生活に慣れてきた頃、当時新橋に鳥取(単独)のアンテナショップがあり、そこが売上不振で店長が不在になった為、空席となった店長就任の話を頂いた。当時勤めていた商社の社長からは別のポストも打診されるが、故郷への恩返しという気持ちもあり、2代目店長を引き受けて転職。砂丘らっきょうをメインに販売改革を実行。徐々に売上は成長軌道に乗り、退任前には単月黒字化を達成する。
故郷の特産品を使ったプランで起業
内閣府 地域社会雇用創造事業100人の起業家を育てる目的で「農村六起」スタート。第一回ビジネスプランコンテストに入賞し、同企画での起業家第一号となり、株式会社ブリッジを設立。
「とっとり・おかやま新橋館」で故郷と消費地を橋渡し
鳥取のアンテナショップは閉店となり、その後鳥取県・岡山県のアンテナショップ「とっとり・おかやま新橋館 https://www.torioka.com
の立ち上げに関わり、初代物販店長に就任した。山陰と山陽の両県が一緒にアンテナショップを構えるという珍しい店になった。岡山の白桃や鳥取の梨などフルーツが人気で、両県共同で運営することで、初夏からシーズンが始まると旬のフルーツが途切れることなく、店頭を彩った。生産者さんにも上京頂き、一緒にPR活動を行うことにより、首都圏の消費者へ産地の魅力を発信。地元生産者の代わりとなって首都圏の皆さんに、鳥取・岡山の良さを伝えた結果として、開店以来売上の右肩上がりを継続させる。
前回とは対照的な自治体のアンテナショップを立ち上げる
東京都庁に東京都アンテナショップ「TOKYO GIFTS 62」https://www.sangyo-rodo.metro.tokyo.lg.jp/tourism/tokyogifts62/ がオープン。こちらでも立ち上げに関わり、初代店長となった。東京都の島嶼部と併せて62エリアで、生産者の活動や商品を紹介する。コロナ禍にて、開店の延期など厳しい状況だったが、取引先様の協力を得て開店・営業開始。各エリアの生産現場を訪問し、店舗メンバーと共にお話を伺う。地域の特徴、生産者の良さを伝えることを、接客に活かす仕掛けを実行する。
これからどうしていきたい
道の駅などの地方の商業施設のサポートや地域で活動している方の販路開拓・PRのサポート、アンテナショップなどの都市部の販売PRをサポートすることで地域と都市部をご縁でつなぎ「それぞれの持ち場で輝く人」を増やしていきたい。